春日部の歴史

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【春日部市史】公共施設の充実1

税金滞納により赤字の横綱だった 市制施行に先立つ6月に県に提出された「新市建設計画書」においては、市役所をはじめ、学校・図書館などの教育文化施設の整備新設、保育所・児童公園の新設、各種道路の新設。改修などをめざすなど、公共施設の拡充をうたい上げていた。それらは、旧春日部町と旧四村の格差を埋め、一つの […]

【春日部市史】春日部市合併地域の現況

五町村の業態生業の割合 昭和29(1954)年の合併申請時の、五町村の現況はどのようなものであったろうか。それは新春日部市の成立時の市勢を示すものでもある。合併申請時書に付された「現況表」によればその概要は以下のとおりである。 まず、「業態生業の割合」をみると、都市的業態のうち商工業の従事者数では新 […]

【春日部市史】春日部市の誕生

町村合併促進審議会と地区町村合併推進協議会 昭和27(1952)年5月、町村規模適正化委員会を設置していた埼玉県では、町村合併推進法の方針に基づき、適正化委員会に代えて28年10月6日に「埼玉県町村合併審議会」を設置し、審議会の答申を受けて、各郡単位に市町村の長および議会の議長全員をもって構成する地 […]

【春日部市史】戦後の春日部市域農業3(都市化の波と農業)

農地が宅地、工場、道路に 春日部市は東京近郊で交通も便利なことから農業の土地利用、畑の水田化という変化だけでなくて宅地化や工業用地としての利用が目立って増えてきた。昭和30年代に入ると都市化の波が漸次押し寄せてきて、農地転用問題が登場してきた。昭和34(1959)年度において春日部農業委員会の宅地転 […]

【春日部市史】戦後の春日部市域農業2(新しい農業と都市化の共存)

農業経営の合理化に乗り出す 戦後の春日部農業をふりかえりながら当時の農業委員会委員長山口宏は、『営農は急速に進展し、商魂にたくましい業者は新式の機械を速成し、人の心の弱点をとらえて各個にその業績をのばしています。土地は、首都圏整備法と工場管理の余波をうけ都心に便利な近郊地帯として郊外移転の工場用地と […]

【春日部市史】戦後の春日部市域農業1

敗戦直後の農業 敗戦直後の春日部地域の農業は生産するというよりも国が制(ママ)り当ててくる農家への義務、特に米・麦の供出割合をどう軽くし、自分の家の食糧を残すかという傾向が強かった。それに、この間に村の中の不正問題などをめぐっての争いなどが発生し、混乱していた。肥料も十分ないし、燃料もないし貨幣価値 […]

【春日部市史】キャスリン台風災害

台風の発生と規模 キャスリン台風と命名されたこの台風は、昭和22(1947)年9月8日太平洋上のマリアナ諸島東方海上に発生し、その後次第に発達して鳥島付近に達した。13日には960ミリバール、中心付近の最大風速45メートルとなった。熊谷測候所は14日午前9時に台風の進路について、14日未明から15日 […]

【春日部市史】春日部町の成立

粕壁町と内牧村の合併 行政機構の整理 昭和17(1942)年6月全国町村長会は、町村決戦体制確立実行方策要綱を出し、(1)町村内の諸勢力の結束強化のため、その指導性の確立、(2)町村内諸組織の統合と事務の能率化、(3)町村内諸団体・組合活動の合理化と食糧増産、という三大目標を発表した(『新編埼玉県史 […]

【春日部市史】箪笥・桐箱業者の組織化と減税運動

埼玉箪笥同業組合の設立 春日部市域の箪笥桐箱製造業は、麦稈真田・麦藁帽子製造と並んで重要な産業の一つである。ここでは大正期からの生産状況とその組織化についてみることにしよう。 昭和初年ごろまでのこの地域における箪笥は、「東京タンス」の銘柄として販売され、箪笥職人が農閑期に生産し、地場産業として発展し […]

【春日部市史】関東大震災と春日部

震災の発生と被害 大正12(1923)年9月1日午前11時58分、伊豆半島沖を震源地とする大地震が関東地方一帯を襲った。埼玉県東部は、夏の太陽が照りつける厳しい残暑の一日であった。 当時武里尋常小学校五年生の押田茂忠さん(市内備後)の話によると、「午前11時ごろには二学期の始業式から帰り、両親の手作 […]