小学校の改築
新市発足以前から、旧四町村小学校校舎はいずれも老朽化や児童数の増加により、増改築または新築の必要に迫られ、「新市建設計画」における最重要課題となっていた。市は昭和29(1954)年度の初めての市予算以後連年、積極的に小学校校舎の建設予算を組んで、順次これらの問題解決に当たった。また、各学校のPTAや建築後援会なども積極的に協力した。
内牧小学校建設工事は、昭和29年度に第一期工事として二階建て校舎を竣工した(915万7000余円)。続いて30年2月に第二期工事に着工、7月15日竣工18日落成した(541万円)。
(「昭和29(1954)年 内牧小学校」春日部市郷土資料館 かすかべデジタル写真館より)
武里小学校は、昭和30年度予算に増築工事費が計上され、31年1月9日に着工し4月末に竣工した(860余万円)。引き続き31年7月に管理棟が工費500余万円で竣工した。
幸松小学校は、昭和32年1月の市議会で議決され、2498万8000円の予算で4月着工し、翌33年1月に竣工した。
豊野小学校は昭和32年12月の市議会で増改築の協議が行われ、34年5月市議会で新築を中心とする予算が可決された。34年11月着工し、35年9月3日に竣工した。
市体育館の建設
小学校の建設と並行して、市体育館の建設が進められた。建物は粕壁小学校の敷地内に市体育館兼講堂として建設されることになり、予算総額2380万円余で32(1957)年2月に着工、4月に設計変更(250万円)を加えて、7月末に竣工した。
8月4日の埼玉新聞には、「県下一の体育館完成」と報じられた。
公民館と保育園
旧四町村にはそれぞれ公民館があり、春日部市へと引き継がれていた。当時の春日部市の公民館は以下のとおりである(市政だより第七号)。
春日部市公民館(春日部中学校)
幸松分館(小学校)
武里分館(小学校)
豊野分館(支所)
豊春分館(支所)
内牧分館(小学校)
すなわち、市公民館が中学校校舎内に置かれたのをはじめ、各地区の分館もいずれも小学校や市役所支所に置かれていて、独立した施設ではなく、活動も限定されたものにとどまった。地区の公民館が一斉に完成し、社会教育施設として充実したものになるのは昭和46(1971)年を待たなければならなかった。
一方、保育園(保育所)については、昭和31(1956)年4月、春日部保育園と三愛保育園が春日部市初の保育園として開園した。両園の定員はそれぞれ30名だった。
この2保育園は現在に至るまで、福祉法人経営の保育園として現在に至っている。
市立の保育所については、昭和40(1965)年代の市人口の急激な増大期に、昭和41年5月、武里団地に第一保育所が完成したのをはじめとして、昭和50年(1975)までに以下のように次々に建設されていった。
昭和43年8月 第二保育園(武里団地)
昭和44年7月 第三保育園(八木崎)
昭和46年4月 第四保育園(備後)
昭和47年4月 第五保育園(藤塚)
昭和48年4月 第六保育園(牛島)
昭和49年4月 第七保育園(内牧)・第八保育園(豊春)
『春日部市史 第六巻 通史編II』(平成7年3月発行)
現代(昭和戦後期)
第二章 春日部市の誕生
第三節 公共施設の充実
小学校の改築(P378)、市体育館の建設(p379)、公民館と保育園(P380)より要約