1年間、復興大臣として被災地を歩いて回った
――2023年9月に復興大臣となってこれまでどのような活動をしてきましたか?
復興大臣としては、東日本大震災からの復興が中心で東北3県に本当に足繁く訪問いたしました。まずは、知事や市町村長にご挨拶して、当時の状況を伺ったり、慰霊碑に献花させていただいたり……。さまざまな問題があるので、まずは全体を把握しようと、多くの人に話を聞きました。
実は復興大臣になって間もなく、長く務めてくださいと多くの人に言われました。この13年で、復興大臣は私で16代目ですから。
被災地の皆さんからすれば、あいさつしたらいなくなるっていうわけです。東日本大震災復興特別委員会でも野党の先生たちに、「どうぞ1年と言わず長くいてください」と言われましたね。
実は私は委員会の答弁で役人の作った原稿をあまり読まないんです。特に自分の足で回ったところの話では。自分の足でまわると肌感覚っていうのが生まれるから、 それで自分ではこう思いましたみたいな話をしたりすると、共鳴するんですよ。野党の先生から「今回の大臣はよくご自分の言葉で話してくれて嬉しい」って言ってくるわけです。
そうやってずっと被災地を回りました。
――被災地の状況はどうなっていましたか?
岩手県、宮城県はインフラも整いつつあり、震災前に戻りつつある状況です。ところが、福島県に原発について処理しなければならない課題がたくさんあります。福島第一原発ちかくの市町村に関しては、人口が減少している中で、人口をどう張り付けるかが一番の悩みです。買い物する場所がないとか医療機関がないとか、生活インフラも非常に弱い。私の代で帰還困難区域の一部解除も始まりましたが、まだまだ復興庁の仕事はいっぱいあると思います。
また、除染で出た土(除去土壌)の再生利用や最終処分についてIAEA(国際原子力機関)が最終報告書が提出されたのも私の代のときです。現在、環境省がIAEAの安全基準に沿って国内の基準を作っています。基準ができれば、除去土壌を公共事業に使えるようにしたいと思っています。そのためには、すごい量なので、各県にそれを使っていただかないと処理できないのですが、それを各県の知事さんたちに協力していただくように協議をしていくのが今後の課題だと思います。
漁業に関しても、処理水の海洋放出が最初に行われたのは私が大臣になる直前(2023年8月24日)で、それから1、2ヵ月に一度くらい放出していますが、おかげ様で今まで一回も問題が起きていません。中国はいろんなこと言ってますけど、データ的にはだいぶ安定して、みんな気持ちが 落ち着いたっていうのが、私の1年間の中での仕事の大きな柱だったかなと思います。
それと風化も非常に大きな課題でした。東日本大震災から13年。現地以外では多くの人が忘れていってしまいますし、震災の経験のない子どもたちも増えました。子どもたちにどう伝えていくかというのは大きな課題ですね。
被災地の復興には希望も感じた
――復興はまだまだ道半ばというところでしょうか。
課題はいっぱいあります。でも、希望も感じました。実は復興途中の被災地に流入してくる人が結構いるんですよね。そういう人たちというのは、若くて資本力もないような人たちが多いんですが、彼らは都会で自分のお店を開こうとかってもなかなか難しいわけです。しかし被災地だとさまざまな補助金もあり、何もないところで新たに新事業に挑戦できるからか、びっくりするような素敵なお店がいっぱいできるようになったんです。彼らが一所懸命働いて、結婚して、子どももいたりして、素敵なファミリーがいることがとても嬉しく思いました。何年後かには発展していると期待しています。
もうひとつ。福島県をもっとアピールするには、あっと驚くようなもの作らなきゃダメだということで、F-REI(エフレイ=福島国際研究教育機構)という世界最先端の研究開発に取り組む研究拠点が2023年4月に発足しました。
私の代では、F-REIに国内の研究機関だけでなく、海外の研究機関も研究開発拠点を置くというところまで進みました。
――在任中、能登半島地震も発生しましたが、防災担当大臣ではない復興大臣にはどのような役割がありましたか。
大臣というより復興庁は、13年間の知見を豊富にもっていますからすぐに現場に審議官が1人張り付きました。また、復興庁は職員が全員各省庁から集まっていてプロパーの職員がいなくて、2、3年で異動してしまうという省庁でした。逆に言うと2、3年復興庁で働いた経験のある職員が全省庁にいるわけです。その人たちが結集しました。
そういうことは今までできなかったんですけど、各省の優秀な人たちが集まって今後の復旧から復興への道をどうしようかとかなりの人数が現場に入ったり、令和6年能登半島地震復旧・復興支援本部にに入るようになりましたね。
私も被災地に二度ほど入りましたが、避難所を作る土地がないとか、やっと作った避難所に豪雨で土砂が流れ込むととか、困難続きで半島のインフラをどうするか、防災をどうするかっていうのは国の責務だなというのをすごく感じました。
――1年の間に多くのことが進んで、やりがいのある仕事でしたね。
被災地の皆さんが優しいんです。何回も訪問しているから、どこに行っても私を歓迎してくれました。なんか親戚ができたみたいでしたね。
まだまだやることがあるのに1年で退任することになったので少し寂しい気持ちもあります。
地元のために毎年予算をとってくるのも国会議員の仕事
――埼玉16区(春日部市、さいたま市岩槻区、吉川市、松伏町)にはどういう課題がありますか。
春日部市には、素晴らしい施設があることをもっと知っていただきたいですね。首都圏外郭放水路は世界でも1、2番のもので、このまちの本当に宝だと思います。これによって春日部の水の安全が保たれているなと常に感じています。
しかも春日部市だけではなく白岡市とか、中川、倉松川、大落古利根川といった川が流れてる地域にも相当効果を発揮していているという話もあります。
私が当選した1996年にはすでに工事がスタートしていましたが、そこからは私が毎予算を取ってくるのも仕事だなと思って、毎年陳情しました。工事が始まっても完成までしっかりと予算を取っていかなければならないのが国会議員の仕事ですから。
それと現在進行中の東埼玉道路は沿線に関わりのある議員みんなで毎年陳情を続けていて、工事も順調に進んでいます
春日部市商工振興センター跡地に作られている複合施設「かすかべテラス(仮)」にハローワークが入るのも私が厚生労働副大臣の時にお願いしたことがきっかけです。しつこくお願いしました。
地域の活性化という点では、地下鉄7号線の岩槻駅までの延伸は必ず成し遂げなければならないとても大きな課題です。また、工事が始まった春日部駅周辺の連続立体交差事業も中心市街地活性化に不可欠な事業だと考えています。
民間の仕事に政治家が話をするのはあまりできませんが、住む人たちの環境を考えると、政治家としてはお願いベースならやっていいのかなと思っていて、推進していきたいと思っています。
全小学校に栄養教諭を配置したい
――栄養士としての側面からは、春日部市で推進したいことはありますか。
一番やりたいのが、学校栄養教諭を全小学校に配置したいということです。栄養教諭の授業を充実させたいです。
栄養教諭の配置は全国でも4割程度で、食の面でも教育格差が生じていて、大問題だと思っています。春日部はいい方なんですよ。全校ではありませんが、栄養教諭が配置されている学校もあって、栄養指導等の授業を行なっていますから。
一生の中で一番大事なのは食べることで、特に小さい頃に栄養学を学んでおくと、食べ方によって病気になるっていうのが少なくなると思うんです。バランス悪い食事を続けて病気になっていくこともあります。腎臓病でも肝臓病でも糖尿病でも、軽いうちに発見すれば、食生活を変えただけですごく良くなるんですよ。
その初期教育としても全校に栄養教諭を配置するこを進めていきたいと思います。
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