粕壁

【春日部市史】春日部町の成立

粕壁町と内牧村の合併 行政機構の整理 昭和17(1942)年6月全国町村長会は、町村決戦体制確立実行方策要綱を出し、(1)町村内の諸勢力の結束強化のため、その指導性の確立、(2)町村内諸組織の統合と事務の能率化、(3)町村内諸団体・組合活動の合理化と食糧増産、という三大目標を発表した(『新編埼玉県史 […]

【春日部市史】関東大震災と春日部

震災の発生と被害 大正12(1923)年9月1日午前11時58分、伊豆半島沖を震源地とする大地震が関東地方一帯を襲った。埼玉県東部は、夏の太陽が照りつける厳しい残暑の一日であった。 当時武里尋常小学校五年生の押田茂忠さん(市内備後)の話によると、「午前11時ごろには二学期の始業式から帰り、両親の手作 […]

【春日部市史】粕壁銀行の合併と商工業

粕壁銀行の合併と商工業 粕壁銀行と武州銀行の合併 明治28(1895)年12月に田村新蔵など地元中小商工業者が株主となって設立された粕壁銀行は、資本金10万円の小銀行であった。翌年1月に業務を開始し、3月には幸手町に支店、さらに同月明治貯蓄銀行が開業した。その後31年には20万円に増資され、経営は順 […]

【春日部市史】東武鉄道の開業

東武鉄道の開業 東武鉄道の設立が出願されたのは明治28(1895)年4月であったが、同鉄道は同年6月22日に逓信大臣白根専一から仮免状を下付された。そこで、同年10月16日、東京市日本橋区坂本町の銀行集会所で創業集会が開かれた。資本金は265万円(5万3000株)、株主数は487人であったが、創業総 […]

【春日部市史】明治の武里村

武里村 粕壁町がいろいろな機能をもった町だとすると明治末期の武里村は農業と手工業の村であった。明治43(1910)年の粕壁町の人口は5870人であった。武里村は、人口3542人で、武里村の総戸数は501戸、うち農業が7割の353戸、工業が1割の55戸、商業が1割の64戸であった。この他労働が8戸、僧 […]

【春日部市史】明治の粕壁町

粕壁町の歴史  江戸時代、粕壁宿には4・9の六斎市が開かれていた。一応近隣農村の経済的核とはなっていたが、宿の主要な機能は宿駅業務にあり、旅籠や飲食店が中心の町であったといえる。しかし、明治以降は商業の町としての性格を強めてきた。明治中期には、経済都市としての性格を備えてきた。  明治35(1902 […]