2024年に本屋大賞を受賞した『成瀬は天下を取りにいく』は、大津市を舞台にした6つの短編からなる青春小説です。その最初の物語は「ありがとう西武大津店」。主人公である成瀬あかりが中学二年生の夏に地元・大津の百貨店「西武大津店」が閉店となった時のエピソードが友人の島崎みゆきの言葉で語られます。
このエピソードは、地元に大きな百貨店やスーパーが立地され、数十年後の今を持って閉店される憂き目を見た人であれば、大きな共感を抱かずにはいられません。
生まれたときから、ともにあった地元の基幹店。
誕生日プレゼントをそこで買い、お年玉をそこで使い、親の買い物に突き合わされ、友人とともにいろんな店をのぞき、時に試食コーナーを食べて回った子ども時代。
中学校高校と進学するにしたがって、世界が広がり立ち寄ることも減ったけれど、いつもそこにあると信じて疑わなかった、地元のシンボルともいえる場所。
全国の各地にそういうお店がありました。
ひるがえって、春日部市には西口駅にイトーヨーカ堂があります。設立は1972年。半世紀以上にわたり、特に春日部駅西口の住人の食糧庫として、衣類・生活雑貨の供給地として機能してきました。
『クレヨンしんちゃん』では、サトーココノカドーのモデルにもなり、現実にサトーココノカドーフェアを行い、看板まで切り替えたこともありました。
そんなイトーヨーカ堂も時代の変化には逆らえず、大きな統廃合が行わることになりました。
「ヨーカ堂、首都圏4店閉店へ(埼玉新聞 2024/03/12)」
『4店舗は「食品館川越店」(埼玉県川越市)、「食品館ららぽーと新三郷店」(同県三郷市)、柏店(千葉県柏市)、綱島店(横浜市)。川越店は7月に閉店することを決めている。残りは8~10月ごろに順次、閉店する方向。』
この閉店候補に春日部店はありませんが、営業時間が21時から20時に短縮され、空きスペースが目立ったり、衣料品コーナーはともすれば従業員のほうが客より多かったりと、けっして繁盛しているとはいいがたい状況が何年も続いているのが現状です。
不採算店舗として、閉店と判断される可能性がないともいえません。
かといって、ララガーデン、イオンなどが市内にあり、買い物の選択肢が広がったなかで、いまさらヨーカ堂での買い物に戻ることも難しいでしょう。
ヨーカ堂がさびれていくことに一抹の寂しさはあるし、できればこの先も存続していってもらいたいけれど、どうすることもできないというのが多くの春日部市民の感情ではないでしょうか。
さて、冒頭で紹介した『成瀬は天下を取りにいく』の主人公・成瀬あかりは、せめて自分史の中に西武大津店の閉店の足跡を残そうと、夏休みを同店のカウントダウン掲示板の前に立つという行動をとります。地元経済の盛衰という大きな流れに一個人が抵抗することは難しいけれど、一個人がその流れに納得するために取った行動に、胸が暖かくなり切なくなりました。
50年以上続いた春日部店がこの先も続いていくのかはわかりませんが、地元の春日部駅の高架化に伴い、中心地が大きく変化しようとしています。
その変化の波に個人がどういう足跡を残せるのか。一つひとつの行動は小さくても、なにかアクションをしてみるとそれが誰かの心や行動に影響を与えるかもしれません。
例えば、消えゆく駅周辺の風景の写真を撮るとか、花壇に花を植えるとか、掲示板を設置して毎日何かを書き込むとか、SNSに写真をアップするとか。
変わりゆくものを自分史に刻もうとした成瀬あかり――。春日部にも何人もの成瀬あかりが誕生しているのかもしれませんね。
なお続刊の『成瀬は信じた道をいく』もすでに発売されています。成瀬あかりの地元愛と行動力に振り回され、それでも彼女の裏表のない言葉に時に癒され、時に気づかせられてそれぞれの登場人物の気持ちが、心にしみてきます。
春日部駅東口から覗くイトーヨーカ堂春日部店。すでに駅の高架によりこの光景は見られなくなってしまった。